坪内:祇園精舎の鐘の音、浮屠氏は聞きて寂滅為楽の響なりといへども、待宵には情人が何と聞くらん。沙羅双樹の花の色、厭世家の目には諸行無常の形とも見ゆらんが、愁ひを知らぬ乙女は、如何さまに眺むらん。要するに、造化の本意は人未だ之れを得知らず、唯己に愁ひの心ありて秋の哀れを知り、己に其の心楽しくして春の花鳥を楽しと見るのみ。造化の本体は無心たるべし。
森:破がねならぬ祇園精舎の鐘を聞くものは、待人恋ひしとおもひ、寂滅為楽とも感ずべけれど、其声の美に感ずるは一なり、沙羅双樹の花の色を見る者は諸行無常とも観じ、また只管にめでたしとも眺むめれど、其色の美なりとは、耳あり能く聞くために感ずるにあらず、目ありて能く視るために感ずるにあらず、先天の理想はこの時暗中より躍りいでて、此声美なり、この色美なりと叫ぶなり、これ感納性の上の理想にあらずや。